「朝鮮人」としての『空手バカ一代』崔永宜はなぜ、大山倍達と名乗ったか?

(宝島30 1994年7月号)

極真空手の創始者大山倍達が亡くなった。日本のマスコミが触れなかった彼の民族意識を『空手バカ一代』の裏に読み解く。

金武義(きむ・むい)

四月二十六日、大山倍達が肺癌で死去した。

「梶原一騎氏原作の『空手バカ一代』の主人公で、国際空手道連盟総裁、極真会館館長の大山倍達氏が……東京・中央区の病院で死去した。七十歳だった。(略)

韓国ソウル生まれ。一九四七年に戦後初の全日本空手選手権で優勝。牛を素手で倒すなどの修業を続け、海外でもプロレスラー等各種の格闘技家と試合。手刀でビールびんを切り捨てる技は『神の手』と称された。(略)六四年、空手界の常識だった寸止めをやめ直接相手を倒すフルコンタクト(直接打撃制)を取り入れた極真空手を旗揚げし、国際空手道連盟を創設した(略)」(四月二十七日付朝日新聞)

今や全世界に千二百万人もの門弟を持つ極真空手の創始者であった彼の死は、格闘技、スポーツ界にとどまらず、一般各紙でも報じられた。しかし、韓国ソウル生まれであることは触れられていても、彼自身が韓国人であったことに言及した記事は、少なくとも僕が探してみた限りでは皆無であった。たしかに後に日本に帰化しているとはいえ、まったく触れないとは……。

「たしかに私は韓国で生まれました。本名はチェ・ヨンイ(崔永宜)だ。満州、韓国で育って十六歳で日本軍の兵隊として山梨県の部隊に入隊したんだ」

生前の大山倍達自身、スポーツ誌『Number』(八九年五月二十日号)のなかでそう認めている。それは、高見沢秀の「もうひとつの『空手バカ一代』というルポで、日本における梶原一騎・原作の『空手バカ一代』と同じく、大山倍達を主人公にした『大野望』という劇画が韓国に存在するという事実の報告から入って、日韓の「大山倍達像」の共通点と相違を考察した好編である。この『大野望』は韓国でベストセラーになり、この劇画を通して韓国人は誰もが在日同胞の英雄として、大山倍達の名を知っている。

日本でも、現在、二十代後半から三十代になる男たちに、初めて大山倍達の名を教えたのは『空手バカ一代』だったはずだ。大山倍達の死をきっかけに、ぼくは、十何年ぶりかに『空手バカ一代』全巻を読み直してみた。そして、大山と梶原一騎が紡いだ伝説のなかに隠された、在日同胞の真実の一片を捜してみようと思う。

マス・大山は何と闘っていたのか?

『巨人の星』の星飛雄馬、『あしたのジョー』の矢吹丈、『タイガーマスク』の伊達直人。

一九七〇年前後に少年たちを熱狂させた梶原劇画のヒーローたち。マス・オーヤマもその一人だが、他の主人公たちと決定的に違っていたのは、少年たちがただ憧れるだけでなく、こぞって彼のマネをしたことである。

本人の大山倍達でさえ全盛期の二十代でしか出来なかったという秘技中の秘技「三角飛び」がなぜか全国の小学校の校庭で乱れ飛び、手刀のビールびん切断をマネしようとして(コーラやバヤリースのびんで代用したものだ)手にケガをするヤツが続出した。『空手バカ一代』がテレビアニメになった後は、柔道部に入る者がガタ減りになり、その代わりに流派は何であれ街の空手道場に入門を志願する者が激増したという話も聞いた(そして、厳しい稽古に耐え切れずまたたく間にみんなやめてしまったというオチもつく)。

なぜ、マス・オーヤマは、こんなにも強く少年たちの心を魅きつけたのだろう。

まず、なによりも大きいのは、彼が実在の人物であるという点だ。

『空手バカ一代』は、彼がアメリカ修行中、単身マフィアのオフィスに拉致される場面から始まる。絶体絶命の境地にあって、ナイフとピストルを突きつけてくるマフィアどもを彼は「孤拳」「正面蹴り」など、空手の技を用いて一瞬のうちに倒してしまう。

「孤拳とは、コブシを握らず、手の甲の一番固い部分で打つ技術である(中略)コブシを握ったら相手は警戒するが、孤拳なら相手は無防備に近寄ってきてくれる」

「人間は、顔を攻撃されると後ろにのけぞり、腹を強打されると前にうずくまる習性がある(中略)腹を狙ったのは、相手がうずくまることで、その後ろにいる敵の障害物となってくれるからである」

大意で引用しているので文章の正確さは欠いているかも知れないが(以下同)、マス・オーヤマが浪花節的な"ド根性"ではなくあくまでも自らの理論に基づいた空手技術で闘っていることはおわかり頂けると思う。すでにこの時点で彼は、大リーグボール一号や、フジヤマ・タイガー・ブリーカーの荒唐無稽さとは無縁の存在だったのである。

格闘技ブームの現在でこそ、漫画にも高等テクニックの理論解説が入るが、『空手バカ一代』が週刊少年マガジンに連載されていた七〇年代当時では、それはまったく画期的なリアリズムだったのだ。

しかも、大山ケンカ空手は、ボクシングやプロレスといったスポーツではなく、街場(ストリート)の喧嘩(ファイト)で通用する実戦格闘術である。強くなりたいと願う少年たちにとって、マス・オーヤマは、現実に現れた救世主であった。もしかしたら、ぼくにも憎いいじめっ子のあいつをやっつけることができるかもしれない−−。

男の子の心を虜にするには、ただ単に"強い"だけではいけない。むしろ、同じ"強さ"でも、体制に守られたそれには、少年たちは拒否の態度を示す。例えば、大相撲の若・貴兄弟はギャル人気を勝ちえることはできても、少年のヒーローにはなりえない。少年の心情を捕らえて離さないでおくためには、もう一つの要因−−"試練"が必要なのだ。

"逆境からのチャレンジ”は、梶原劇画に共通したプロットである。飛雄馬は花形やオズマ、ジョーは力石、タイガーは馬場・猪木に己の弱さ小ささを思い知らされ、その悔しさをバネに血の滲む努力をし、「強くなる」。

しかし、この原稿のために『空手バカ一代』全巻を読み返していて、ぼくはあることに気づいた。『空手バカ一代』の主人公・大山倍達に限っては冒頭からとてつもなく強いのである。コミックス第一巻の半ばで、早くも空手日本一の座についてしまうくらいだ。その後も、”赤サソリ"の異名で怖れられたプロレスラー、タム・ライス等、たしかに続々と強敵は登場するが、全編を貫くライバルはついに登場しない。にもかかわらず、このマンガのサブタイトルは「激闘! 大山倍達伝」である。

では、大山倍達−−マス・オーヤマが生涯を通じて闘っていた相手とは、いったい何なのだろうか?

なぜ、在日だと言ってくれない

『空手バカ一代』への思いは、やはり、とりわけ、彼が同胞であることを知った在日少年たちに強かったに違いない。

ぼくは伊豆半島のイナカに生まれ育った在日二世である。東京や大阪と違い、イナカには在日のしっかりしたコミュニティはない。『空手バカ一代』の愛読者であったが、より身近に感じるようになったのは、小学校五年の夏、民族学校主催の夏期学校に参加してからである。

夏期学校とは名ばかりのこじんまりとしたもので、地域に往むせいぜい十人くらいの生徒を教えるために、夏休みに民族学校の生徒が講師として派遣されて来る。そこで「カギヤピョ」(ハングルのイロハのこと)を習ったり、先生を囲んで雑談をしたりする。偉大な金日成主席の革命業績とやらの時間もあったけど、まあ今回はそれは置いておこう。

ぼくたちのところにやって来た女性講師は、あるとき、やわらかな大阪弁でこう教えてくれた。

「在日同胞でも、立派な人はたくさんいてはいるんよ。何にもガッカリすることはないんよ。歌手の西城秀樹なあ、あの人かて同胞やし(ここで女の子たちが"えーっ!"と言った)ジョニー大倉がそうやろ。ロッテの張本のことはみんな知ってるやろうし、空手の大山倍達かてそうなんや」

二学期が始まって学校にいくと、相変わらず、「空手バカ一代」ごっこがはやっていた。

ぼくはみんなに、こう言ってやりたい気持ちになっていた。

−−マス・オーヤマは、ウチの国の人間なんだぞ!ぼくの中で、この漫画へのそれまで以上の愛着、大山倍達という空手家に対する敬愛の念がそれまで以上に強く湧いてきていた。

だが、彼が在日同胞であることを知ったがために、従来にはなかった寂しさも持たざるを得なくなった現実があったのも、また事実だった。

−−なぜ、彼は、一言、自分が在日だと名乗ってくれないんだろう。なぜ、俺の本名はチェ・ヨンイだと言って、ぼくたちに希望を与えてくれないんだろう……。

大山倍達に限らず、カ道山光浩にしても、張本勲にしても、戦後の日本スポーツ界をリードしてきた同胞たちは、なぜかみんな通名(日本名)ばかりを用い、いまひとつ、ぼくたち在日少年の「味方」になりきれてくれていなかったのだ。彼らのうちの一人でも、堂々と本名宣言をしてくれれば、ただそれだけで、どれだけの数の在日少年少女が精神的に救われたことだろうか。

ところが、「空手バカ一代」で全編を通して強調されるのは、民族は民族でも日本民族の方、もっぱら「大和魂」であり「古き良き日本の心」なのである。

「日本人の血」?

特にそれは、コミックス四巻からスタートするアメリカ武者修行編において著しい。少し粗筋を追ってみよう。

「第一回全日本空手選手権」で優勝した大山倍達だったが、その実戦ケンカ空手は「邪道」呼ばわりされ、四国で闘牛を倒し、北海道でヒグマと闘っても、日本の空手界に受けいれられることはなかった。むしろ、

「牛には催眠薬が注射してあったのだ。あれなら勝てて当然、大山は空手日本一どころかとんでもないペテン師よ」

といったデマが流布されてゆく。自分が誹誘されたことよりも「武道の心」を失っていた日本に絶望した大山倍達は、アメリカヘ武者修行の旅に出ることにする。

柔道の遠藤幸吉とともにアメリカに着いた彼を待っていたものは、反日感情に満ちた白人の世界だった。初日からマス・オーヤマは演武のビールびん割り、ブロック割りで観客の度肝をぬくが、すぐに憎悪にさらされる。

「キル・ザ・ジャップ!!」

「リメンバー・パールハーバー!」

御当地アメリカの善玉レスラーたちは、ファンのヒステリックな声援に応えるべく、次々に大山に闘いを挑むが、ブロック割りでは白らの拳を痛め、試合では数分で病院送りにされてしまう。やがて、マス・オーヤマの名は、アメリカ社会で差別と貧困に喘いでいた日系人たちの英雄となっていった。

どうにかアメリカ武者修行も軌道に乗ってきたころ、マス・オーヤマは、あるコーヒーショップでボーイとしてコキ使われている「トシオ」という日系少年と知り合う。トシオは、マス・オーヤマに敬意を払わない。それどころか、涙ながらに食ってかかる。

「日本人や日系人でうまくやっているヤツなんて、何かずるいことをしているに決まっている!」

アメリカ社会の厳しい現実を突いたこの一言は、マス・オーヤマの胸にずしりとこたえる。トシオは十五歳の若さで下層労働者として辛酸をなめ、その両親も働いても働いてもいっこうに報われない人たちだったのだ。オーヤマは、自分一人が日本の武道家として名をあげればそれでよいのか、という疑問にとらわれる。

実はそのとき、オーヤマの飲み物にはクスリが混入されていた。このまま連戦連勝をされてはかなわないと考えた悪徳プロモーターの仕組んだ買である。その夜の試合のころになると、ちょうどクスリは効き目を発揮し、カラテ・デビルことマス・オーヤマは無様な敗北を喫することになっていたのだ。

ところがオーヤマは、いっも通り危なげなく勝利をおさめてしまう。相手レスラーは「そんな馬鹿な」という顔でKOされ、ファンは落胆し、プロモーターどもの間では責任のなすりあいが始まる。

すべての陰謀が明かるみに出た後、ではいったい誰が俺を救ってくれたのか、とマス・オーヤマは考える。実はそれは、彼への反感をむきだしにしていたはずの、他ならぬトシオだったのだ。夜の公園でトシオは言う。

「あんたは、日系人のぼくに、日本人として接してくれた。日系人の役に立ちたいというあんたの言葉が嘘でもいい。そう言ってくれたこと自体が、嬉しかったんだよ」

トシオは、カウンターの中から飲み物にクスリが落とされるのを目撃、職を失う覚悟でマスターの眼を盗み、再び普通の飲み物とすりかえておいたのだ。

「人の善意に……日本人の血に触れた感動が、静かに私の心をひたしていった。その夜の勝利の喜びよりも大きく−−大山倍達・談」

力道山の「空手」チョップ

トシオ少年との出会いを経てマス・オーヤマは、「祖国の役に立ちたい」とより強く願うようになり、"日系人無料招待デー"というイベントを企画した。だが、ここでもひと騒動が持ち上がってしまう。会場に詰めかけた日系人たちは当初、マス・オーヤマの空手に、遠藤幸吉の柔道に熱狂する。しかし、「ブルドッグ」の異名をとる白人レスラーが次のような台詞を叫んだ途端、皆、それまでの興奮が嘘であったかのように脅え、静まりかえってしまうのである。

「うるせえ!イエローモンキーどもめ」

負け犬の遠吠えにしか思えない「ブルドッグ」の一言に、なぜ"同胞"日系人たちはこんなにも脅えてしまうのか。理解できずに呆然とするオーヤマに、事情通がこう説明する。

「日本から移民した時代からよそ者として白人社会に圧迫され、太平洋戦争中の収容所暮らし……そして祖国日本の敗戦と、ぬきさしがたく身にしみこんだ白人コンプレックスのあらわれです」

そこで、マス・オーヤマはその場で「ブルドッグ」に挑戦し、見事な勝利をおさめるのだが、ゴングが鳴る前、彼はこう自らに誓うのである、

「その劣等意識を根こそぎ吹き飛ばして、民族の誇り、新しい生命力にめざめてもらうのも大山空手の使命!」

シーンとなっていた観衆は、マス・オーヤマの圧勝劇に再び元気を取り戻し、彼と遠藤の二人を胴上げする。

「われらのヒーローを胴上げだあっ」

「いつもわれわれを見下している白人をのばしてくれてありがとう」

「なんだか生き抜く元気が出てきたぞお!」

あげく、孫娘をぜひ嫁にもらってほしいというお婆ちゃんが出てきたり、それを回りがひやかしたり、「日系人無料招待デー」は大成功に終わる。その後も"国辱レスラー"グレート東郷が改心し、正統派のレスラーに転向すべくマス・オーヤマに弟子入り志願するエピソードがあり(東郷は、"ミーだってヤマトダマシイを持ってるね!"などと言う)、天下のFBIが格闘技の教官として彼を招き、日本の武道の第一人者として手厚く遇するエピソードがあるが、このように『空手バカ一代』アメリカ修行編は、空手家・大山倍達のサクセスストーリーであると同時に、彼の闘いを通して、戦争に敗れた国「日本」が、宿敵である「アメリカ」に雪辱を果たし、民族の誇りを取り戻すという構造も持っているのである。これは、彼が在日であることを考えると、実に奇妙だ。

そこで改めて思い起こされるのが、同じく在日朝鮮人であった力道山こと金信洛(キム・シンナク)の闘いぶりである。戦勝国「鬼畜米英」の攻撃に耐えに耐え、ついに「堪忍袋の緒が切れて」、伝家の宝刀「空手チョップ」で成敗し、観客は敗戦のウサを晴らす。彼もまた、過剰なまでに「日本の心」を意識し、それを演じ続けた。

日本の国技である相撲から出た力道山は、プロレスを開拓して「日本人」の英雄になった。日本の武道界から疎外された大山倍達は、笹川良一が主宰する「全日本空手道連盟」にはついに合流することないまま、「日本のカラテ」を世界に知らしめた。

実は韓国版『空手バカ一代』である『大野望』の主人公・崔倍達(チェ・ペダル)が取り組むのは、空手ではなく、朝鮮の国技テコンドーである。あくまで日本の武道の土俵で、在日が「地上最強」になったことに意味があるのかもしれない。

ともかく、『空手バカ一代』の「アメリカ」を「日本」に、「日系人」を「在日朝鮮・韓国人」に置き換えてみれば、これこそはまさに在日同胞が熱望してやまなかった物語である。だからといって、大山が闘い続けた敵とは、実は彼を疎外した日本そのものだったのだ−−とまでは言うつもりはない。しかし、少なくとも、青春期を大山、力道山、そして「殺しの軍団・柳川組」の柳川次郎という三人の在日ヒーローに囲まれて育った梶原一騎が、そのことをまるで意識しなかったはずがない。

「倍達」の意味

正直に言えば、今でもぼくは、彼に、より公な場で「自分は在日だ」と言って欲しかったとの思いがないではない。だが、そのいっぽうで、彼はゴッドハンドのオーヤマ、牛殺しの倍達でよかったのかもしれないとも思う。

『Number』誌のインタビューに答えて、本名は崔永宜だと認めた大山倍達は、さらにこう語っている。「ペダルというのは倍達の韓国読みで、高貴な意味があるらしい。大山倍達というのは父がつけた名だ」

たしかに、「倍達(ペダル)」という名は、朝鮮民族にとって非常に由緒のある名前てある。ぼくがふだん使っている天理大学編纂の『現代朝鮮語辞典』でひいてみると、倍達とは、「朝鮮の上古時代の称号」となっている。つまり日本における「ヤマト」などのように、朝鮮の国家・民族そのものを、誇りをこめて言うときに用いられてきた言葉なのである。

さらに遡れば、朝鮮には「檀君紀元」という建国神話(日本で言えば、『古事記』『日本書紀』にあたろうか)があるが、すでにこの中にペダルという言葉は出現している。

ファヌングという神が、どうしても人間になりたいと願い、地上−−朝鮮の大地に降りてきて、百日間の試練を課される。その試練の二十一日目にファヌングは人間となることが許され、民族の始祖となる。彼がもうけた子供が古代朝鮮の最初の王となる檀君である。

朝鮮では檀君の生年から、民族独自の紀元を数える(ちなみに、今年一九九四年は檀君紀元四千三百二十七年になる)のだが、檀君の檀の字、その木へんは"パクタル・ナム"という木のことであり(白樺科の樹木らしい)、そのパクタルが時代とともに音が変化して、ペダルとなったのである。

つまり、大山倍達自身は自分が朝鮮民族であることを隠していたわけではなかったし、世界に知れ渡った彼の名前そのものが、その出自を、矜持とともに表現していたのだ。

ともかく、「空手」という東洋の武道を世界に広めた男は、朝鮮民族の出身だった。それはそれで充分にすばらしいことだったと言えるだろう。「日本の大山」でも「韓国(朝鮮)の崔」でもなく「世界のマス・オーヤマ」になったのだから。

さようなら、空手バカ一代。

在日少年に希望を与えてくれた男−−。

(文中敬称絡)

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